どうも!!!
前向きシフト人生右肩上がりのオッサン(@maemukishift)です!
私は元々はネガティブで、
引っ込み思案で、
母親の後ろに隠れるような子供でした。
なのに、変なところでひょうきんで、
家族が笑ってくれるのが、
喜んでくれるのが嬉しかった。
あんな暖かく笑顔の絶えない家庭を
今家族を持っている私は、
できているのだろうか?
息子は私の幼い頃に似てシャイだけど、
ひょうきん!
娘は。。。。。。
天真爛漫。。。。
私の子供達は、
まだ幼いが、
笑いの絶えない家庭にはなっていると
思われる。
蛍が飛んでるような、
街頭すらないような、
世界のコカコーラの自販機が撤退するような。。。。
そんな、ドが付く田舎から、
ドヤ顔の街「大阪」に出てからだった。
わかりやすく関東と関西の違いをお伝えしよう!
関東は、ピンポン鳴らして、返事がなければ帰るよね?
大阪は違う!!
いや!正確に言うと、
私が住んだ大阪の地域は違う!
ピンポン鳴らしても帰らない!
勝手に上がって、茶でもすすってるのが大阪!!
人との距離を一定距離保とうとするのは関東!
人の心にズケズケと土足で踏み込んでくるのが大阪!
だからと言って、
関西が怖いところというわけではない!!!
東京にもあるが、下町人情が大阪全体に有る!!
と言っておこう!
人との距離が近いのだ!
それを嫌う人もいるだろう!
しかし、
末っ子で人懐っこさというか、
甘えん坊気質の私には合った!
人と人との関わり合いが強い大阪に
どんどん私は吸い込まれていった。
というよりも飲み込まれていった(笑。
始めは萎縮していたが、
言いたい事は言わないと、
どんどん話しを被せてこられ、
違う方向に言ってしまう!
よって、違う!とか
いや僕が言いたいのは!とか、
そういう言い方から、
自分の意見を言えるようになっていった。
気づいたら関西訛りになり、
16歳で大阪に出た事もあり、
周りには良い先輩が沢山できた。
30年経った今も、
連絡を取り合っている先輩もいるほど、
この時の出会いは、
大阪は、
私の人間性を作り上げていった。
何よりも、
言いたいことを言えるようになるということは、
自分の意見に自信を持つということだと考える。
自分の意見に自信を持つと、
自分にも自信を持つようになってくる!
自己肯定力である!!
大阪では沢山の
良い思い出、
痛い思い出、
騙された思い出、
モンモンとする思い出、
もったいなかったなーという思い出、
馬鹿なことするもんじゃないなーという思い出、
などなど、
青春を謳歌する場所には、
とても私に合っていた!!
いやー、ほんと10代の蒼い時代を
大阪で過ごせて良かったーーー!!
神様が、一度だけ戻らせてくれるというなら、
期限付きで、
この頃に戻りたい!
そして、イケたのにチキンな心でアタックできなかった
後のCAになる彼女にアタックしたい!!
。。。。。。。
。。。。。。
。。。。
。。
とまぁ、ハメを外したり、
沢山のことを学べ、
そして自分に自信を持てたのが大阪だ!
そんな、青春の場所「大阪」を離れたのは
阪神・淡路大震災後。
当時はそれでも、暗いムードではなく、
バブルの残り香がある東京に、
当時の彼女と関東に引っ越した。
当時はダウンタウンが大人気!!
関西弁というだけで、チヤホヤされた。
そんな矢先、
3ヶ月で男を作って出ていった彼女。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
その後に、失恋で荒れた私を見て、周りの人間は去っていった。
これが東京人か一!!!!て思った。
人が寝てても、
面白いからと夜中にコンパに呼び出し、
笑いをとったら、
「はい、さいなら」
。。。。
それでも当時は良かった。
みんなが笑って喜んでくれてたから。
でも、私が失恋したら、
なぜ誰も呼ばなくなる?
面白くないから?
失恋んで暗いから?
私の「必要性って、なんだろう?」
「なんなんだろう。。。。。」
そんなヤサグレた私に手を差し伸べてくれたのは、
震災後に東京に一緒にやってきた先輩達だった。
その時の先輩が
「色々とタイミングも有ったやろうけども、
お前は彼氏として、よくやったと思うで」
と言ってくれた言葉は今でも鮮明に覚えている。
「今は周りの事を気にせんと、
自分のことを褒めてやり!」
そう!
そう!そう!
やっぱり自分の事は、自分でも褒めてあげるべきなのだ!
反省は必要!
だけど後悔は不必要!
ということで、
自己肯定力をあげるために、
自分を毎日1回は褒めよう!
褒めてあげよう!
そしたら、周りにも褒めてあげれるようになれるさ!!
そんな想いで、
ショート動画アップしました!!!!wwwww
是非、見てね!!